35年前の電子レンジ

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親戚の家に、「35年前の電子レンジ」があって、まだまだ現役で動いている。35年前といえば、今年43歳になる僕が、8歳。ひょえー。

現在の電子レンジとはもちろん見た目が違う。たとえば料理によって、加熱時間を変えるための調節。今はボタンや液晶が主流だが、このオールドタイプは、なんと絵が描いた筒をダイヤルでぐりぐり回して設定する。そして、なんといってもプラスチックのパーツが少なく、ボディは鉄。重厚感がある。

とにかく、壊れずにいまだに使えてる、というのがすごい。はたして今売ってる電子レンジが、35年後も動くだろうか?

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そういえば、たまに広島の実家に帰ると、僕が中学生のころ、色気を出して、髪をまきまきしていた「カールドライヤー」が、まだ現役で使ってたりして、甘酸っぱい気持ちでいっぱいになる。

ところが、最近、某メーカーが出している「マイナスイオンが噴き出すドライヤー」を買ったら、2年でありえないプラスチックパーツの破壊がおきて、壊れた。頭にきてメーカーに文句をいったら、別な新品が届いたのだが、なんと半年使ったら、またまたプラスチックパーツが壊れた。

ほんと、マイナスイオン、出なくていいからもっと丈夫に作ってほしいと思った。

なんだか、古い家電製品ほど、丈夫な気がする。もちろん壊れやすい昔の家電もあったろうが、先の電子レンジのように、生き残った家電は、おそろしく丈夫だ。

このことを考えるとき、僕は「昭和一ケタ生まれの人間のじょうぶさ」とかぶるなー、と思う。あの時代って、戦後でまずしくて食べ物もろくになかったから、栄養不足で死んでしまった人も多かったと思うけど、そこを生き抜いた人間は、なんか、すんごい丈夫なのね。

丈夫な電子レンジを作れた時代は、デジタル技術とか、剛性の強いプラスチックとか、シリコンなんかの新素材がなかったから、それこそ無骨だけど、余計なことをせずに、当時のエンジニアは丈夫な家電を設計できたかもしれない。

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こわれるといえば、パソコン。

僕には「パソコンかご」と呼んでるカゴがあって、過去に使ってきた、捨てるに捨てれない愛着のあるパソコンを入れてる。たまに取り出して、思いでにひたるのだが、大半がすでに壊れていて、修理すらできない。たかだか15年くらいだが、たくさんのパソコン、デジタルガジェットが、かごの中にある。

情報技術の進歩は、たとえば昔はビルぐらいのサイズのコンピューターを、指先に乗るぐらい小さくすることで、格段に電気エネルギーの消費量を減らした。そういう意味では環境にやさしい技術である。

しかしなぜかそれが「商品」に落とし込まれるとき、やたら製品寿命が短くなり、せっかくのエネルギーの節約も、廃棄パソコンの山で帳消しになってしまう。

電子レンジやドライヤーは、いわば「もう進歩しないマシーン」である。いくらドライヤーからマイナスイオンが出ようが、そんなの「うどんにおける七味唐がらし」みたいなもので、ドライヤーの本質はモーターと伝熱線で、それは150年前には生まれていた技術だ。

しかしデジタル機器は「まだまだ進化するかも?マシーン」である。そうじゃないかもしれないが、みんなはそう信じている。そういう機械は、製品寿命がどうしても短くなる。


「フォード社の社員は、フォードを作って稼いだお金で、フォードを買う」
。これが機械文明を進歩させる基本だ。それは大量生産、大量消費、大量廃棄の世界だ。僕らがより便利な生活を手に入れようとしたら、今使っているものを、どんどん捨てていかなければならない。

仕方ないことだと思う。
けれど一方で、35年も使い続けられる家電を見てしまうと、はたしてこれでいいのかな?という疑問は、やっぱり湧いてしまう。

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うわっつらワールド

昨日の石黒先生との対談は、たいへん面白かった。

人間にそっくりなアンドロイドを作っている石黒先生は、機械であるはずのアンドロイドに対し、人間が感情を感じ、ときにアンドロイド操作している人間に対しても、皮膚感覚がフィードバックしてくるという。そのことから「アンドロイドにも心の表現はある」といい、逆に「人間にあるのは、こころの表現であって、こころそのものはない」と、断言されていた。

もちろん本当に人間にこころがあるかどうか、という問題はだれも答えが出せないのだが、たくさんの人々が当たり前に「人間にはこころがある」と思っている中で、まったく反対の立場から議論を出発する石黒先生の見解は、とても刺激的だった。

かつて、僕は「人は、歌手の歌ごころに感動するのではなく、歌を歌う演出に感動するのだ」というブログを書いた。機械を使って表現物を作っていると、石黒先生同様、そういう場面にぶちあたる。

「感情とはなにか?」という問題はとらえどころがないが、「感情表現とは何か?」という問題は、実際に現象としてとらえられる。「悲しい」という感情がトリガーになって、「泣く」という感情表現が人間はしばしば起こす。この感情表現を、役者や、ときにロボットが演出し、再現すると、鑑賞者はしばしば「悲しい」という感情を引き起こす。

映画、本、漫画、舞台、歌、ドラマ・・・・・僕らのまわりにあるものは、そうした演出された感情表現だらけだ。フィクションだけではない。友達関係、ときには家族関係の中であっても、演出された感情表現で付き合っている。

人間は「うわっつら」で生きているのだ。

このことは、まったく悪いことではない。もしその「うわっつら」が本質ならば、そこをより良くしていけば、人間関係はスムーズになり、もしかしたら、究極の世界平和がくるかもしれない。そしてなによりそのことがすばらしいのは、「感情」そのものは、手がつけれない難しいものだが、「感情表現」ならば、定量的に捕えられ、芸術的にも、工学的にも、いくらでも知恵をしぼって創意工夫ができる、とういことだ。

人間は感覚器のオバケだ。たくさんのセンサーの塊だ。それらを使って他者とコミュニケーションをしている、というのは、「うわっつら」からの情報だらけ、ということだ。さらにいえば、人間は自分が作り出した、さまざなメディア装置を取り付け、「うわっつら」を拡大している。そこにはすでに「うわっつらワールド」ができてしまっている。

「うわっつらワールド」は、情報と機械が構成要素に入っている。そして心の断片もそこにまぎれている。この文明進化はますます拡大するだろう。ということは、芸術家も、工学者も、心の解明のチャンスが増えているということだ。

「ヒューマニズム」とはそうした事実に、英知を持って誠実に向かうことだ、ということを、「人間にはこころはない」と言い切る石黒先生の「人間くささ」を感じならが、思ったのでした。

     

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石黒博士と明和電機社長の 「人間とは何か?」 対談

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今週の土曜日、東京都現代美術館で、人型ロボット「ジェミノイド」の開発で有名は石黒浩博士と対談いたします。

くわしくはこちら>>

石黒博士と、明和電機社長・土佐信道にはひとつ共通点があります。それは、マシンというモチーフを通して

「人間とは何か?」

を探究していることです。石黒博士は、自分にそっくりなヒューマノイドを作り、そのロボットと自分、そして外界とのコミュニケーションを分析することで、「人間とは何か?こころとは何か?」を探究されています。

一方、僕は、芸術家である自分の中が「なぜものを作るのか?」という根源的な問いから出発し、「自分とは何か?人間とはなにか?」を考え、分かったことを、ひとつひとつ「ナンセンス・マシーン」として作ってきました。

それぞれ「工学的アプローチ」「芸術的アプローチ」ですが、ともに人間という不可解なものを理性によってつかもうとする姿勢が似ていると思います。

芸術家の場合、自分とは何か?に対する問いの、もっとも興味のある部分が「創造性と何か?」という問題。これはシステムが新しいシステムを作り出すという、機械では絶対にできない問題になります。ところが僕の場合、その問いを、「機械」というコモンセンスな素材を使って表現しようとする。すると、どうなるかというと、

「ナンセンス」な問題を「コモンセンス」な機械では表現できない。

とい大問題にぶち当たる。ここで悩みまくって、悩みまくって・・・・・・気がついたら、青い服を着ておかしな機械をたくさん作るという、明和電機スタイルになってしまった。

おそらく石黒博士も、人間の分析を機械というモチーフ探究されているので、同じような問題をかかえているはずです。そして、それを分析するために、ユニークで大胆なアプローチをされている。

僕と石黒博士の「人間への分析方法」に、どこに共通点があり、どこが違うのか?
うかがってみたうことがたくさん!
楽しみです。

     

石黒博士と明和電機の本。 一見、まったく違うジャンルですが、実は共通点が非常に多い二冊です。これを読んでおくと、対談がさらにおもしろくなるので、ぜひ!!

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立体を作る機械の進化について

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最近、「3Dプリンター」や「レーザーカッター」などの、コンピューターにつないで、立体物をバンバン作る装置が、劇的に安くなってきてます。CGで作ったバーチャルな立体を、簡単にリアルな三次元立体にすることができるようになってきた。まさに

「頭の中で描いたイメージが、魔法のように、形になる」

という世界が現実的になってきた・・・・・。っと思いがちだけど、はたしてそうなのか?

ちょっと、脇道にそれますが、「頭の中の世界を現実化する」ことについて、シュタイナー教育で有名な神智学のルドルフ・シュタイナーが、精神の進化の段階の話として書いてます。いわく、

人類の精神の進化は七期に分かれる。現在の人類は第四期で、「言葉によって、イデアの影をなんとなくイメージ化できる段階」

これがもう少し進んで第五期になると、「頭の中の概念を、簡単にイメージとして取り出せるようになる」

そして第六期をへて精神進化の第七期になると、「思ったことをイメージとして取り出せるだけではなく、事物を創造できるようになる」。

まあ、これは神秘主義な話なので、シュタイナーのイメージでしかないのだが、現在のテクノロジー事情と比較するとなかなか面白い。

たしかに現在の人類は、本というメディアから、インターネットへ移行を始めて、検索エンジンの進歩で、格段に「頭の中の概念を、簡単にイメージとして取り出せる」段階に進みつつある。
画像検索の精度があがれば、今以上に、欲しいイメージを簡単に探せるようになるだろうし、、脳から直接イメージを取り出す装置の研究も実際に進んでいる。

そして、3Dプリンターのような「簡単にイメージを形にする装置」が発達すれば、シュタイナーの言う精神進化の最終段階のように、想像しただけで、すきなものが作れる時代がくるかもしれない!!・・・・となりそうですが、僕はそこで疑問を持ってしまうんです。

現在の3Dプリンターのような技術は、「形」のコントロールはできますが、「物質」のコントロールはできません。原子レベルで操作して、あらゆる素材を再現するような装置は、出てこない。それはなぜかと言えば「ミクロな世界ほど、コントロールするには膨大なエネルギーがいる」し、「情報量も形のみの再現にくらべて、けた違いに増える」からです。

猫の毛から、ステンレスの硬質までの質感を、プリントアウトするような装置を作ることは不可能でしょう。映画アバターのような疑似体験ができはる映像技術はどんどん進みますが、我々は、決してその世界の「温度」や、「手触り」を感じることはなく、今後も、脳が記憶している質感を喚起され続けるだけだと思います。

物質に人間が触れ合うときに、受け取る情報量は、膨大です。作品を作るときの素材選びがとても重要なのは、間違った素材を選ぶと、自分が伝えたいこととは別なイメージを、相手に与えてしまうからです。3Dスキャナで、形だけの立体をバンバン作るということで、なんだかモノを作った気分になるのは、物質によるモノ作りの、コミュニケーションの本質を学んでいないと思います。

 

なんだか最近、学生さんが安易に3Dプリンターを使って作品を作ったり、それだけではなく、プロのみなさんも、グラフィックデータでプラスチックの板を切り抜いただけで、「えへん、プロダクトデザインなのだ」、と言ってる人が増えてたりするのを見ると、そうじゃないだろー、と僕は思ってしまうのです。

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不自由の中の自由。

昨日、ツイッターで

「働きたくない。自由でいたい。」という理由で、アートを選択する人がいるが、アートで自由を獲得するには、メチャクチャ働かないと、いかんのだよ。

とつぶやいたら、117人もの方がRTをされて、その日のランキング2位になっていた。

それだけ、ツイッターを見ている人の中に、美術系、フリーランスの方が多いのだなあ・・・と感じました。

僕はアートの世界にどっぷりつかっていて、それを商売にしていますが、若い人の中に、モラトリアムを伸ばす口実として「アートやってる」と言ってる人がいることにカチンときてたんですね。

「おれは自由でいたい。だからスシ職人になる」という人はあまりいない。スシ職人になるには、大変な修行を積まなければならないし、仕事もきびしそうだから。でも、、職業・芸術家になるには、同じくらい、テクニックの修行を積まなければならないし、稼ぎ続けるために仕事をしなければならない。やっぱり職人の世界なんです。

美術大学って、日本にほんとうにたくさんあって、そこで毎年、何万人もの学生がアーティストになるための職業訓練を受けているわけです。ただ、中には、
「教養としての美術教育」を受けてる方もいる。僕は別にそういう人にまで厳しくいうつもりはありません。芸術の豊かな発想を、違うビジネスや、家庭生活に応用することもあるからです。

そうではなく、「オレ、アーティストになりたいんだよね」って、少しでも公言してる人が、人生の逃げとしてアートを使っていたとしたら、ムカっとして腰の刀を抜いて、ずばっと切りたくなるんです。

逃げとしてアートを使っている人の悲劇は、そのまま年をとったら、取り返しがつかなくなる、ということです。手に職がない、お金もない、という大人になることは、悲しいことなんです。

ちょっと話がずれますが、松本零士さんが、若い漫画家やアニメーターの人たちが給料が安くて生活できない、ということに対して、

「漫画家とは、”永遠の浪人だ”。食えないのは当たり前。僕だってこの年だけど三日寝てない」

とおっしゃってました。もちろん、産業構造として矛盾があって、漫画家やアニメーターが食えないのは、問題がありますが、それとは別に松本氏が言いたかったのは、自分が選んだクリエーターの道に対する「覚悟」があるかどうか、ということだと思います。

芸術は人の発想やイデオロギーを開放して、ほんとに精神的に自由にしてくれます。それはそれは魅力的な世界です。しかし、その魅力の伝道師になるとするならば、そこには、たくさんの制約と向き合う現実があります。ピエロは人を笑わせますが、ピエロ本人が楽観主義者ではないのと同じです。

ただし。制約が多いからといって、自由ではない、ということはありません。むしろ制約の中で創意工夫して作品を作っていくことの方が、発想が膨らみ、「自由度」が増える、ということになります。それはとても楽しい世界です。モノを作る人間という生物の醍醐味だと思います。

自分の活動もふくめて、そうした面白さが、人々に伝わったらよいなー、と思います。

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鉛筆と輪ゴムで、ポテトチップスを割る。ポテトチョップ!!

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ポテトチップスを食べてて、

「このポテチを、鉛筆と輪ゴムを使って割る装置は作れないか?」

とヒラめいた。鉛筆を構造体、輪ゴムを動力として使って、まるで空手の「瓦割り」のようにポテチを割ることを競う大会があったらおもしろいなあ・・・・と。

タイトルはもちろん「全国ポテトチョップ大会」だ。

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とにかく本当にそんな装置が作れるかどうか、試してみることにした。100円ショップ鉛筆を購入。12本で100円。やすいなあ・・・。

近くにいた明和電機の工員Tもつかまえて、作らせることにした。条件は、

①鉛筆は一本、輪ゴムは一個

②カットは自由

③接着剤は使ってよい

④ヒットは鉛筆の腹(塗装面)で行うこと。

⑤装置の保持に人差し指を一本、動作のリリースに人差し指を一本使ってよい。

 

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これが工員Tが作ったポテトチョッパー1号機。

シンプルだが、パワーは十分。

 

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そしてこれは僕が作ったポテトチョッパー。とにかく鉛筆一本しか使えないので、構造体を作るために、鉛筆を半分に割り、組み合わせました。

簡単に作れると思ったけれど、鉛筆の材料が限られているので、意外とむずかしかった。
もしこのほかにも、ポテトチョッパーを思いついて作った方がいましたら、ご連絡ください!!「日本ポテトチョップの会」を作りましょう!!

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究極の楽器ってなんだろう

ヤマハの「Y2プロジェクト」の発表会に行ってきました。「Y2プロジェクト」とは、ヤマハがこれまでつちかってきた、デジタルな楽器の技術を、ネットの世界に持ち込んで、新しいことやりましょう!ビジネスにしましょう!というプロジェクトです。

分かりやすい例が、ヤマハが開発したボーカロイドを応用した「初音ミク」を、サーバの中において、ケータイなどの端末から歌を歌わせるシステム。つまりケータイの中にはなーんもなくて、初音ミクという「楽器」はネットの向こう側にある。それを演奏する、ということです。

クラウドコンピューティングと「DTM」が合体したようなもので、なんでしょう、無理やりネーミングすると「クラウド トップ ミュージック」、略して「CTM」でしょうか?

初音ミクに限らず、デジタルミュージックの基本システムであるVSTも、全部ネットの向こう側に作ってしまいましょう、というプロジェクトもありました。

インターネットがでてきて、みんながホームページを作り始めたとき、僕は

「ああ、とうとう人類は、インターネットの中で、巨大な一冊の書物を記述しはじめたのだ
な・・・」

と思ったんですが、「クラウド トップ ミュージック」の話を聞いていると、

「ああ、とうとう人類は、、インターネットの中で、巨大なひとつの楽器を作りはじめたのだな・・・」

と思いました。その楽器はあらゆる音を奏で、あらゆるエフェクトができ、そしてあらゆる奏者たちの演奏を覚えている・・・・・。そういう究極の楽器が、ネットの中にできあがりつつあると。

ただし、それはデジタルミュージックの中のお話。
一方で、それとはまったく別の流れとして、「楽器のガジェット化」というものもあります。近年の電子技術の進歩で、発音体がどんどん小さく、高性能で、安くできるようになってきた。このおかげで、小型で高性能な楽器がたくさん生まれている。

オタマトーンはこの「楽器のガジェット化」の流れから生まれたものです。

一神教のような神の楽器に向かうのか?
多神教のような神の楽器に進むのか?

いずれにしても、面白い時代になってきたなー、と思います。

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先週はカゼ薬でラリってました。

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ひさしぶりのブログ更新です。先週は月曜日にアメリカから帰国してカゼをひき、ダウンしておりました。医者にいくのが苦手な僕ですが、とうとう診察をうけ、抗生物質をいただいて服用。これが、体質にあってなかったのか、

もーね。ラリる、ラリる。

上がそのイメージ図ですね。ナチュラルに幽体離脱してる感じ。そして、ひたすら眠い。これがずっと続いておりました。

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基本的には、僕はカゼを引いても自己治癒で治すのがいつものやりかた。まずとにかく食べえて、水分をとる。そして布団に入って、一眠りしてたっぷり汗をかく。で、パジャマを着替えて
もう一度寝て、また汗をかく。

この「くう>むす>むす」というプロセスで、大抵のカゼは治る。というのがいつものことだったんですが、今回はこれが効かなかったんですね。

アメリカ帰り、ということもあって、「なんか、凶悪なウイルスでも移ったんじゃないか・・・」と多少ビビりまして、医者にいきました。

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で、診断を受けたら、「カゼですね」と。まあ、カゼもいろいろいろな病気の総称なので、なにカゼかはわかりませんが、抗生物質などなど、お薬をいただきました。

これが、ね、たっぷりあるんですわ。いろんな種類が。咳止め、炎症止め、胃薬、鼻水止め、そして抗生物質と、いろんな形の錠剤がたっぷり。

普段から薬ぎらいな僕からすると、化学物質を大量に体に入れるのに抵抗があるんですが、今回はそうもいってられない。ぐっつと飲み込んだら・・・・冒頭のようにラリッたんですね。やっぱり薬に慣れてない体質なのかもしれません。

でも、おかげで、完治いたしました。
そして薬漬けの、ラリラリからも完治いたしました。

さあ、今日からまた、聡明なる頭脳にもどったので、仕事するぞ!!

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本当に男性の方が「ビンボーゆすり」をするのか?

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アメリカ、UCLAの授業で、「男性の方が女性よりビンボーゆすりをする」と話したら、学生たちが「?」な顔をした。え!もしかして、その現象は日本だけなのか?と不安になった。

そこで、今日、ツイッターで

みなさんに質問です。あなたはビンボーゆすりをしますか? 性別は? 職種は? 年齢は? リツイートください。 統計結果は今晩の社長ブログにて。 ご協力よろしくお願いします!!」

とつぶやいてみた。おかげさまで朝の6時から夜の10時ぐらいにかけて、203名の方から解答をいただきました。で、集計してみたのが、上図。

よかった。やっぱり女性は男性よりビンボーゆすりをしないようです。比率で言うと、男性は約6割、女性は約2割がビンボーゆすりをするようです。

さて、集計しながら後で気がついたんですが、このアンケート、僕のツイッターを、どういう世代のどういう職種の人が一番多く見ているか?もわかるアンケートだったんですね。

で、まずは男女比。106:97で、女性の方が多いのには、ビックリしました。まだまだツイッターはマニアックで、ガジェット好きな男性の方がつぶやきまくってるんだと思ってたからです。ただ、明和電機のファンクラブの層を見ると、3:1で女性の方が多い、つまり、僕のフェロモオオオオオオオンに惹かれてる女性の方が多いので、その影響があるのかも。・・・いやあ。まいったなあ。(あー、自分でゆーてもた。さむ!)

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そして年齢層・・・・・。20代から40代がつぶやいてますねー。10代はとても少ない。面白いのが女性の分布。男性が30代を中心にきれいな山形になってるのに、女性はなぜか「30代と20代前半」にピークがきていていて、20代後半が、少ない。これはたしかにライブをやっていても実感することで、30代以上の「旧・明和電機ファン」のみなさんと、それからポーンと飛んで20代前半の「新・明和電機ファン」の方がいるような気がしてました。

そして女性は、40代後半のいわゆる「お母ちゃん世代」から、ほとんどつぶやいていない。ここはまだmixiなんかなあ・・・。

職業を見ると、やはり「プログラマー、SE」などのIT系と、デザイナーの方が多かったです。そりゃそうですね。PCに向かう時間が多い仕事ですもんね。

はー。それにしても、集計に時間がかかってしまった。エクセルへの手入力。電通とか博報堂とかいくと、すんごいマーケティングのソフトがあって、あっという間に分析してしまうんだろうなあ・・・・。

後で気がついたけど、ツイッター関連の便利なアンケートソフトもあるではないか!!
ひょえー。疲れた・・・。

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ロスでオタマトーン営業

ロスです。昨日は午前中がオフというとで、地元のサウンドアーティストの GIL KUNO さんにサンタモニカの近くのビーチに車で連れていっていただきました。


映像はまるで江頭のようにフラフープダンスを踊る方と、オタマトーン。曲は「思い出の渚」です。その他に、思いバーベルを持ち上げてるおじいちゃんとか、アラレちゃんメガネかけてるレゲエなホームレスとか、草吸ってる(こちらでは医療的には合法)ストリートミュージシャンとか、かなり自由なかほりのするみなさんが大集合しておりましした。

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午後は、UCLAにもどり、学生さん相手に「おかしな発想法」のワークショップ。さすがデザイン・美術系の学生さんだけあって、発想が飛んでました。イラストは、「鼻くそ交換機」だそうです。

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そして夕方からは、地元でジャパンカルチャーなオモチャやグッズを販売している「ジャイアントロボット」さんに行って、オタマトーンのサイン会。パチモク、オタマトーンのデモも行いました。店内はたくさんの人で混雑。日本から仕入れた48個のオタマトーンはあっという間に完売しました。

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このお店の社長さんのエリック・ナカムラさんは日系2世。サイン会の後は、地元で有名なハンバーガー屋さんに連れていってもらいました。

「ボクは小さいころから、日本のアニメや特撮が大好きで。電人ザボーガーとか、怪傑ライオン丸とか。ジャイアントロボットという店の名前も、そこからつけました。」

とナカムラさん。
アメリカ人のみなさんが、がんがんビールを飲んでる店内で、そういう話を聞くと、日本のオタク文化が、自分の想像以上にアメリカに浸透していることを感じました。


 

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