三日かかる作業を二日で終え、今日はオフ日。運がいいことに、ベスーンの小さな町にサーカスがきているらしく、これはラッキー!とODAくんと見に行きました。
街を流れる川の近くの駐車場に来てます!サーカスの一座が。なんでもフランスで一番有名なサーカスとか。街じゅうの親子連れが大集合してました。
これが宣伝カー。昼間はこの車が口上をしながら街を走り回ってました。この得たいのしれない造形。こんなのが街にやってきたら、子供なら一発で好奇心が爆発でしょう。
あちこちに描かれているサーカスのグラフィック。あげあげです。
中に入ると、円形の広い空間。中央には砂が巻かれたステージ。「おお!すごい!」と眺めていたら、4歳ぐらいの制服を着たかわいい子供が、僕の持っているチケットを見せろというジェスチャーをしてる。え?なに?君はサーカスの一座の子供か?チケットを見たいのか?と渡して見ると、いきなりスタスタと歩き始めた。なんと、席まで誘導してくれてるのである。この4歳のちびっ子が!
もーね。心の中で号泣ですよ。この演出で。ちびっ子は席を見つけると、ここに座れと小さな手でジェスチャー。あかん、なまじヨーロッパの子供は天使みたいにかわいすぎるから、余計泣ける。ほんと日本の4歳児のトイザらスで絶叫してるのとはえらい違いです。いきなりサーカスの芸事の深さを見せつけれました。
冒頭の出しものはいきなり猛獣ショー。吠えまくるライオン、トラをムチで操って、いろんな芸をさせる猛獣使い。・・・こわすぎる。頼むから檻、倒れないでください、と祈りました。
そのあともグラマラスな女性による空中ロープショー、インディアンによる超絶鞭さばき、カウボーイのロープ芸、軽業ピエロの階段使ったジャグリング、手品、馬の芸、ラクダの芸、牛の芸・・・とにかくどんどん面白い芸が登場する。
映像とかレーザーとか音響とか、そんなテクノロジーなんていっさい頼らない肉体芸のオンパレード。だれが見たって面白いんですね。
で、途中に一座の子供たちも軽業やジャグリング(めっちゃうまい)で登場するんですが・・・あの4歳児も出演!まったく芸ができないので、ただ腰を振って踊ってるだけなんだか、これがかわいい!まったくセクシーじゃないのに山本リンダを目指してるみたいで、えらいかわいかったです。
さて、2時間ほどのサーカスを見終わって外に出るともう8時過ぎ。といってもフランスの時期はまだまだ明るい。静かな夕暮れの中に、サーカスの一座のみなさんが住むトレーラーハウスが駐車してました。これまたすごい。トランスフォームして壁が飛び出して家になる車です。
たくさん登場する動物たちも、トレーラーハウスが家でした。上の写真にはライオンが住んでました。
僕がサーカスを見たのは小学校のときの「木下大サーカス」以来。なんとなく昔のイメージでサーカスを思い描いていたら、以外にもトレーラーハウスのようなシステムが近代化しててびっくりした。もしかしたら、あの家の中は、僕の家より広いかもしれないし、豪華かもしれない。
とはいえサーカスの一座は旅芸人。ひとつとことには定住しない、流れてゆく人生。ヨーロッパの厳格なキリスト教社会の中で、このノマドな人々の暮らしはアウトサイドだけれども、だからこそ非日常なものを見せてくれる、退屈な世界からの解放だったのかな?と思いました。
出演者がすべて家族、というのも強烈なドラマでした。例えば映画を見たとき、上映中はそのフィクションの世界にどっぷり浸りますが、終焉の会場の電気がついたとたん、現実にひきもどされます。しかしサーカスは、華やかなショーが終わっても、会場の外に家族の住む家や、動物たちや、テントがあって、ある家族の人生全体が見えてしまうのです。これはガツンとくるドラマです。ドラマじゃないんだけど。
いろんなことを考えさせられました。
例えば空中でロープ芸をしてたグラマーな女性は、たぶんお母ちゃんでしょう。そして下でそのロープを操ってたのはもしかするとお父ちゃんでしょう。お父ちゃんがロープさばきを間違えると首に巻きついて窒息死です。お母ちゃんも芸をミスすると墜落死です。ただただ、お互いの芸の鍛錬を信用してるからできること。
これはとてもあやういように思えるけど、逆にいえば、その芸があるかぎり食っていける。このことの、僕らクリエーターのような「フリーランス」の生き方と、何が違うのだろう。変わらないのではないか。
そしてサーカスは家族が結束してないとできない商売。社会から見ればアウトサイドにいるサーカスの一座はアウトサイドだからこそ、家族が力をあわせて結束している。定住して安定しているインサイドの社会の方が、家族関係が希薄だったりする。はたしてどっちがいいのだろうか。
4歳のちびっ子も、今は何もできないけど、やがてお兄ちゃんたちみたいにジャグリングがうまくなり、ライオンも操って、大人の女になったら、空中で華麗な肉体芸を見せるようになるのだろう。サーカスにはおじいちゃん、お父さん、こどもの親子三代が全部出演してるので、そんな一人の人間の長い人生も見えてしまう。
こうしたことが、すべて「では、サーカスと比較して、自分の人生はなんなのか?」という問いかけになる。これが深い。とても深い。よくサーカスにハマる人がいるというが、わかる気がする。華やかなショーの素晴らしさももちろんあるが、その余韻の中に、先の「問いかけ」があるのだ。この自問に惹かれて、またテントをくぐるのだろう。
芸術家である僕の人生はサーカスとそんなにかわらないと思う。現に今回のフランスも、旅芸人のように機材を抱えてやってきたし、おかしなマシンを見せるパフォーマンスで収入を得た。
たぶんこのパターンの暮らしは、一生つづくだろうし、定住とか安定にはまったく興味がない。
覚悟というと大げさだけど、それは例えば父親の人生とか、兄の人生とか見ながら育って、ああ、そういうもんだろうな、と小さい時から納得してしまったことなのだと思う。
サーカスは面白い。また機会があれば見てみたいと思いました。