桃屋のラー油にやられた。

先月、eAT金沢の夜塾で、箭内道彦さんがCM監督をされた「桃屋のラー油」がうまい!ということをお聞きしまして、どれどれと昨晩、食べてみたんです。

こ。こ。これは。

ラー油ではない!かぎりなくラー油の形に近い、新しい「ふりかけ」だ。
カリカリに揚げたオニオンとガーリックが、これでもか!と入っていて、それをかろうじてラー油がつないでいる、という感じだ。これをたとえば豆腐にかけて食べてみたとしよう。口の中に豆腐の柔らかさと、おいしさに加えて、「ジャッリッ ジャッリッ」と、オニオン&ガーリックの歯ごたえとラー油の香ばしさがほとばしるのである。

小学校のころから、スナック菓子に脳みそをやらえてしまってる世代には、この「あらゆるおかずをクランキーなスナック」に変えてしまうこの「ラー油風ふりかけ」は、中毒になるのではないか。なんだっけ、ドラえもんで、ふりかけると、なんでもおいしくなる発明があったな。ジャイアンのまずい料理もおいしくなるという・・・・強力さにおいては、あれに匹敵すると思う。

昔、日本人でありながら、プロフェッショナルに世界中の戦場で活躍する「雇い兵」の人が、インタビューで、

「オレは、世界中のジャングルでサバイバルな戦いをしてきた。もっとも困るのは食事だ。トカゲ、サル、コアラ、クモ、生きるため食べなきゃいけない。そんなときに重宝する調味料がある。カレー粉だ。」

と言っていたが、これからは、「桃屋のラー油だ」になるかもしれない。

不思議なのは、油で揚げたガーリックが、ラー油に漬かっているにもかかわらず、まったくしなびていない、ということだ。ふつうなら、油が染み込んで、べちゃべちゃになると思うんだが・・・。おそらく、そのあたりが、桃屋のテクノロジーの成果なのだろう。たぶん、糖分とかデンプンとかで、ガーリックの表面をコーティングしてるんじゃないかな?

おそるべし桃屋。

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500円でオタマトーンをいっきに弾きやすくする方法

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世界のオタマニストのみなさん、こんにちは。口パクってますか?オタマトーンの演奏の腕をあげた人の中には、「いっちょ、バンドの中で演奏してみるか!」とたちあがり、ライブで演奏してみた人もいるんではないでしょうか。そこで問題になるのが、

オタマトーンの音がまわりの爆音に消されて、自分がなんの音を出してるかわからない

ということでしょう。そうなんですよねー。オタマトーンは鍵盤楽器やギターとちがって、正確な音を出すポジションが決まっていないので、自分が出してる音が聞こえなくなると、とたんに弾けなくなるんです。

例えばみんなでオタマトーンを合奏したりすると、自分の音だんだか、人の音なんだか、わけわからなくなる。これを「おたまじり問題(オタマトーンの音がまじる問題の略)」というんです。

このおたまじり問題を500円で解決する必殺ワザがこちら!!!

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まずですね、オモチャの聴診器を買ってきます。写真のブツは秋葉原の千石電商で買いました。500円です。ちゃちくても大丈夫です。

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聴診器のコーンの部分をとりはずします。

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そして、オタマトーンのおしりにズブリとぶっ刺す!!

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なんだか肛門からカテーテルを入れられたあわれなオタマちゃん・・・
になってますが、聴診器を耳にとりつけ、オタマトーンを演奏してみてください!

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ほら!!!、なんとオタマトーンの音が爆音で聞こえます!!
もーね、やかましいくらいですよ。

実験で、がんがんにボリュームをあげたスピーカーの前で演奏してみましたが余裕でしたね。聴診器が耳栓の役割もしてるから、ぜんぜん平気です。

ライブでは、モニターの音も聴かないとダメだから、たぶん片方の耳だけ聞けば大丈夫だと思います。

夜中にオタマトーンの練習をしたいひとも、オタマを布団でかくして聴診器で音を聞けば大丈夫でしょう。

この春はオタマトーンと聴診器・・・・・おしゃっれー!!簡単にできますから、ぜひみなさん、おためしあれ!!

アマゾンでもいろいろ売ってますね、聴診器。いろんなカラーがあるんだ。



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夜のマック

今日は一日、カフェでスケッチ三昧。
ひたらすらアイデア出し作業をしてました。

昨晩も、スケッチを描いていました。場所はマクドナルド。深夜で電源が使える場所となると、必然的にここ。マックの食べ物は苦手なので、ひたすらアイスティー。三杯もおかわりをしてしまった。

夜の7時ぐらいに入って、12時前までいたんですが、その間の客層の変化が面白かった。

7時ぐらいは、会社帰りのOLや若いサラリーマンで満員。みんなiPhoneこすったり、雑誌を読みながら夕食。栄養価かたよるけど大丈夫か?と心配になる。

9時ぐらいになると、会社員はだんだん減って、金曜日の夜を大騒ぎしたい若者たちが大集合。あまりのにぎやかさに、「ここは和民か?」と思ってしまった。あっちこっちで「ぼかーん!」とジュースをカップごと床に落とす音が。「ボカーン!」「ボカーン!」。たいへんだ、店員さんのそうじ。

12時が近づくと、終電のせいか、だんだんと若者が減り、変わって短期労働者の方が、夜の凍てつく寒さから身を守るために、ぽつりぽつりと集まってくる。100円で凍死しなくてすむのだから、実はかなりの人命を救ってるのではないか、夜のマクドナルド。

気がついたら、僕の席にまわりを、こうばしい香りのみなさんが取り囲んでいた。いよいよ僕も疲れてしまったので、席をたつ。短期労働者のみなさんは、このまま朝まで机で眠るのでしょうね。

夜のマックは、普段の生活では見れない、いろんな人がいました。こういう人たち全員に、明和電機の製品や、その奥のナンセンスな哲学を伝えるには、どんなふうにプレゼンしたらいいのかな?とぼんやり考えながら、スケッチを描いていました。

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歌と感情と機械

「氷川きよしって、ロボットみたいに歌うけど、みんな感動してるんだよな・・・」

僕も感情のない歌うロボット「セーモンズ」を作ったこともあり、この「歌と感情」の問題は気になっていました。

で。先週の週末、金沢市が毎年開催しているイベント「eAT金沢」にいってきました。今回は、セミナーで、坂本美雨さん、川井憲次さんとトークセッションを行いました。テーマは「トキメキサウンド」。僕もふくめて音楽を仕事にされているみなさんなんですが、

明和電機・・・・楽器を作る
川井憲次・・・・作曲をする
坂本美雨・・・・歌を歌う

というそれぞれの分野のお話をお聞きできました。

「eAT金沢」の醍醐味は、旅館を借り切って、大広間でゲストも一般参加者もごちゃまでで、朝まで飲んで、語り合うという宴会。、まるで「大規模な友達んちの飲み会」なんですが、ここで、坂本さん、川井さんと、「歌と感情」についてのお話となりました。

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坂本美雨さんのお話。

「私は、自分の中に、どうしても歌にのせて主張したいものがない。そのことで悩んだけれど、あるとき、どんな人間も歌う体をもらって生まれてくることに気がついた。ただ歌う、という楽器のような自分の体のことを意識しはじめて、呼吸法などを学ぶようになった。もしかしたら、大昔の歌手というのは、ただ、大自然や、神の声を、からっぽな自分を通して歌として表現していたのかもしれない」

こんな感じだったかな?(間違ってたらすいません>美雨さん

ここで、僕がおもしろいなあ・・・と思ったのは、「歌手には個人的な感情はいらないのでは」というニュアンスがあることです。

たしかに、最近の歌は、「あなたの道をゆけー、自分を信じろー、勇気を持ってー、人を愛しなさーい」みたいな、説教くさい歌が多くて。そんなことお前にいわれたかないわ!と、40を過ぎたからか、ムカついてしまいます。僕が聞きたい歌は、もっとロマンチックであったり、一編の映画を見たような素敵なフィクションであったり、びっくりするほど美しい詩だったりしたいのになあ。と。

僕は歌手というのは、現代社会のシャーマンで、たくさんの人のこころの中に歌をすんなり進入させる、「一種の異能者」だと思うんですが、それはむしろ自分というものを空っぽにするからこそできることだと思います。(恐山のイタコのように)。坂本さんのお話は、その自分の考えにとても似ていました。

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さて、僕は2001年に、人工声帯で歌うロボット「セーモンズ」を作ったんですが、こいつには、当然ですが、「感情」はありません。

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でも、このロボットの歌声を聴いて、感動する人がいるわけです。
このロボットは、感情もないし、シャーマンのような天啓もなくて、ただただ、コンピューターのプログラムにしたがって歌っているだけです。つまり、そこには「歌うしくみ」しかない。だから極端なことをいうと、

「人は演出された歌うしくみがあれば、感動してしまう」

ということになる。人は、歌手の感情にグッとくるのではなく、、感情の演出にグッとくるわけです。

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これに近いことを、作曲者の側から、川井憲次さんがおっしゃっていました。川井さんは、以前、身内にご不幸があったときに、どうしても「楽しい曲」を作らなければならない仕事があったそうです。普通の精神状態なら、とても、そんな曲書けないんですが、川井さんは書いたそうです。で、結論。

「どんなに感情が悲しくても、楽しい曲は作れる。感情と、創作は別である」

と。

こうしたみなさんのご意見を総合すると、やはり「歌」や「音楽」というのは、やはり個人的な感情とは切り離された、客観的な創作物なのだなあ・・と思いました。

たとえば僕らは「ミ、ラ、ド」のようなマイナーコードを聞くと、それだけで悲しい気持ちになりますが、同じ和音をアフリカの民族に聞かせても、ぜんぜん悲しくないということもあるそうです。つまり、それは創作された「悲しみ」を、僕らは小さいころから刷り込まれているからです。

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人は悲しいとき泣きますますが、これも、ひとつのコミュニケーションです。

他者に向かって、自分悲しみを伝達したほうが有利なときに「目から水分を出す」「声をはりあげる」という肉体的な信号を送る。それが、「泣く」というアクションが生まれた出発点かもしれません。お葬式で登場する「泣き女」のような職業が成立するのは、そういうベースがあるからだと思います。

肉体的な演出力があがれば、歌手は人を感動させることができる。これは、ひとつの答えだと思います。しかし本物の歌手は、それらを超えて、時に神がかり的に自分を超えるときがある。ライブなどを見てると、ときどき、そんなシーンに直面して、ゾクッてくるときがある。坂本美雨さんも、この辺のメカニズムに興味を持っていました。

これについては、もうちっと考えないと。
わかったら、またブログに書いてみます。

関係ブログ>>「オタマトーンの声が出るしくみ」

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ライフログからの飛躍

ツイッターで「ライフログ」についてつぶやきました。その補足です。

デジタル機器が発達し、データ保存が安価にできるようになったので、現在、むかしでは考えられなかった、生活の中のあらゆる情報が、残せるようになりました。

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たとえばデジカメ。今の写真の撮り方は、「たくさんとって、あとでいいものを選ぶ」ですが、これはフィルムと印画紙の写真の時代では、考えられなかった。とにかくフィルムが高かったので、撮る方も、「しくじってなるものか!!」と、ベストショットを撮ろうとする。

そして撮られる方もその緊張感があり、、「高いフィルムなんだから、最高のポーズや表情をしてやる!」と意気込む。その結果、僕が小さい頃の写真を見ると、みんなキメポーズをしてるんですね。

これは僕だけではなくて、フィルム時代は、「しぇー」とか「がちょーん」とか、みんなオーバーなキメポーズで写ってる。でも、その結果、「思い出深い写真」が、アルバムの中にはあるんですね。

つまり「内容の濃い写真」が「少数」ある。

これがデジカメが普及することで、「内容の薄い写真」が「大量にある」になった。それらは、いわゆる「人生のログデータ」で、近年、あらゆる場所で、そういうデータがとれるようになったもんだから、それを解析して、未来を予測する「ライフログ」の研究が盛んになってきてます。

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ここで、少し僕は疑問に思うのです。

大量のデジタルデータは、たしかに「そこに存在している」から、解析をしたくなるけれど、はたして、その意味があるのか?と。その作業に没頭することで、逆に未来を見る力が、なくなってしまうのではないか?と。

「未来は、過去からの逸脱にある」とするならば、過去にしばられすぎるのはいかがなものか?と。

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もちろん過去を知ることは大切です。芸術の世界も、プロフェッショナルになるには、「芸術史」を学び、自分の表現の文脈を知るからこそ、そこからの飛躍ができます。

しかし一方で、そうした学習から「補集合(それ以外の世界)」を見つけようとする考えは、結局もとの「ART系」から飛躍できていないのです。

本当の飛躍は、その「ART系」そのものの外側にあったりします。それを見つけるには、パラダイムそのものを変えてしまわなければいけません。

たとえば進化で例えると、陸上を走る動物が、空を飛ぶためには、陸上で走ることの研究をいくらやってもダメなわけです。木に登って、

「あー、おれ、ここから飛び降りたら、死ぬかもしれんなー。でもやってみんとわからんもんなー」

という、走ることとはまったく逸脱した、冒険が必要なんですね。これがパラダイムを変える、ということです。

ライフログに縛られることの問題点は、その冒険、その発想になかなかなれないことだと思います。

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芸術家は作品を作ります。
それは、最も圧縮率が高く、かつ自分が認識しやすいライフログです。自分が芸術家であってよかったな、と思うのは、そういう作品をたくさん持っていて、それを見ると、自分の歩んできた人生が、まるで結晶のように残っていることです。

しかし一方で、芸術家は、それに甘んじていてはいけません。

芸術家にとって、一番のライバルは自分の作った作品です。

そこからいかに逃亡するか、をいつも考え、実践しなければなりません。

さてさて、そんな明和電機の過去から未来までの製品が、ざっと見れる展覧会が
来週から始まります!!
おひまならぜひ、ご来場ください。

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そしてもうひとつ、文化庁メディア芸術祭もはじまります!

明和電機は、「YUREX」が展示してありますよ。他の作家さんたちの作品というライフログも見れます。こちらもぜひ!

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香港で明和電機のパクリCMが見つかった!!

衝撃の映像がとどきました。

香港の不動産会社「中原地産」さんが、おもいっきり明和電機をパクッてテレビCMを作っております。数々の「かぎりなく明和電機っぽいオリジナル楽器」が登場してます。

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これ
は、「パチモク」のパクリですね。「パクリモク」か?ちゃんとノッカーも動いて円盤をたたいてます。えらい!

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んー、なんだこれは。ギター型の楽器だからメカフォーク系か?ちゃんとシールドが刺さっているところが芸が細かい。しかもフレットが「定規」。ものすごく「メジャー」な楽器です・・・・。

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おいおい、タージンか?
しかも叩いているのは「はかり」。壊れるがな。そんなことしちゃ。

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これはクルクル回しているから、コイビートのパクリだな。
兄ちゃんが吹っ飛んだ演奏するときに似てるな、このひと。

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光浦靖子だな。前髪ぱっつん赤メガネ。

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全体のバンド演奏シーン。たのしそうだな。けっして近づきたくないけど。

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ラストに登場、明和電機の「バカメーター」。みごとにそのまんまです。
太った人がかぶると、おもしろさ倍増だな。

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これって、もしかして、全員社員の人たちなんかな?

不動産屋さんが、なぜ電気屋のスタイルでCMをするのか、まったくわかりません。宣伝効果はあるのか?視聴者に、ちゃんと広告イメージが伝わっているのか?逆効果じゃないのか?太ったメガネがチャカポコはかりを叩くのは?

よくクライアントがゆるしたな、と思います。

あ。もしかして、この不動産屋さんの社長さんが、明和電機のファンなのか?そしてもしかして
太ったメガネのチャカポコが、社長さんなのか?

なぞが深まるばかりの映像です。

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さて、愉快なニセモノを見て明和電機の楽器に興味を持ったみなさんに朗報。

2月2日から、東京都現代美術館で開催される、展覧会に、オリジナルの明和電機楽器を展示いたします。比較してみてください!!

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武道館でオタマトーン

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「武道館でオタマトーン」。

なんて素敵なひびき。そのスケールのアンバランスが最高。似ているといえば、

「琵琶湖で金魚すくい」

かな。

さてそんな「武道館でオタマトーン」が夢ではない可能性が出てきました。映画「のだめカンタービレ」の公開イベントで、武道館で「ベートーベン交響曲第七番」を演奏してくれる、おもしろチームを募集しているのです。

くわしくはコチラ!
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これはもう、「オタマトーン フィルハーモニー オーケストラ」、略して「オタフィル」を組むしかないでしょう!なんだか風邪薬みたいな名前だけど。

課題曲の交響曲第七番は、たしかに、オタマトーンには難しいパッセージがある。このあたりはもう、雰囲気でいくしかない。でも、アレンジで、なんとかなると思います。ひとつのフレーズを四人でわけて弾くとかね。

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本格的にやろうと思ったら、低音の「コントラおたま」とか作らなきゃならんだろーなー。またにはさんでお口をぱくぱくするやつ。

とにかく、まずは曲のアレンジを考えてみます。決まりしだい発表します。

さあ!全国のオタマニストのみなさま!おもしろさでは、イケてるはずです!(あとは音楽性)
みんなで武道館のステージにたちませんか!?

詳細はのちほど!!


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Twitter ついに 落ちる!

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ついに「つぶやき大魔王」が光臨したようですね。すさまじいいきおいで、つぶやかれたのでしょう。見事に落ちました。

全国で、つぶやき難民がうようよしてるんだろうなあ。「いまさら、ミクシイには、戻れんのじゃあ・・・」って。

そういう僕もブログでつぶやいてるし・・・・・。がんばれ!Twiter!!

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のっけからフランチャイズを意識した飲食店はつぶれる

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先日、ふらりと入った飲食店が、もんのすごくマズくて、驚いた。
店内は、まるでフランチャイズ店のように、内装が作られていて、メニューも、看板も、きっちりとデザインされている。安心感ただよう見た目なのだ。しかし、料理はまったく安心できない味だった。

切ない。実に切なくなる。お店をひとつ作るのって、すごく大変なことなのに・・・・この店は・・・・確実に・・・・・つぶれる。うーん。切ない。幼少のころ、父の明和電機の倒産を経験したことがあるだけに、事業の失敗の悲壮感は、身に染みる。

なんで、こういう店になってしまったのか?自分なりに考えてみた。

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まず、オーナーが、のっけから「フランチャイズ」を意識してるのが、そもそもの間違いだと思う。フランチャイズは、十分な資本を持つ企業が、マーケティングと、徹底した流通管理と、完璧なCIデザインによって、作り上げるものだ。そこにかかるコストは、他店舗展開によって、分散される。一店舗しかない店では、それができない。

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しかし、そこを無理をして、内装やメニューや看板のデザインを外注のインテリア・デザイン業者に頼む。これも大間違いで、「自分に店のデザインのビジョンがないから、人に頼む」ということをやってしまってる。メニューなんて、墨と筆でヘタクソでも自分の字で書いてもらった方が、よっぽどおいしそうに見えるのに、「ふぉとしょっぷ」とか「いらすとれーたー」を使う。そういうものを見ると、

お前は、お正月にはじめてパソコンで年賀状を作ったお父さんか!

と思ってしまう。これは、僕らクリエーターもはまりがちなミスだ。既存のアプリケーションで、きれいに作ったものは安心な気がする。しかしそれはけっして人を感動させることができない。

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一事が万事だ。そういう「どこかで見たことがある、安心なもの」を組み合わせて、あたかもフランチャイズ店のように見えるお店を作りあげてしまう。そういう店は、お客さんに「おいしい料理」を食べさせたいのではなく、「お店のビジョン」を食わせようとしているのだ。そこに、お客さんは、ズレを感じる。

それで料理がおいしければ問題はないのだが、フランチャイズを意識してなのか、レトルトとか冷凍とかの手抜き感がチラリと見えたりする。それが大問題なのだ。なぜなら

「同じ料理なら、既存のフランチャイズ店の方が、安くて、うまい」

からである。一店舗しかない店なら、一店舗なりの個性の出し方があるはずだ。それを最初から捨てて、いきなり過酷な団体レースに飛び込むのだから、勝てるわけがない。

店をフランチャイズのように見せたいオーナーは、どこかで、「本当の自分を隠している」と思う。それが大間違いだと思う。

料理とは、もっとも原始的な人間の欲望につながる、泥臭いものだ。そしてお母ちゃんの味ではなく、わざわざ外食でそれを食べにいく、というは、コックやオーナーの「人間性」を食いに行くということだと思う。そこで、自分を隠して飾り立てたものを出されても、ただ、ただ興ざめだ。二度とは行かない。

外食産業は、不況だといいます。でも食べにいく価値があれば、お客は絶対にいきます。重ね重ね、一店舗だからできる個性的な戦略を、たててほしいものです。

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