(この文章には映画のネタバレがあります!ごちゅうい。)
ライフ・オブ・パイを見た。・・・トラが怖い!めっちゃ怖い!普段なら生物界の頂点にいるはずの人間が、この映画ではナンバー2。トップはトラ!
圧倒戸的に強い生命に、人間がやられまくる、という映画で思い出すのは「プレデター」だろう。あの映画では人間を狩るために地球にやってきためっちゃ強い宇宙人から、シュワルツネッガーがひたすら逃げまくっていた。しかし強いといっても宇宙”人”である。よその星の人間である。だから知能がある。それゆれ、「あっちむいて、ホイ!」の「ホイ!」の部分にひっかかる。そのおかげでシュワちゃんは勝つ。
しかし相手がトラの場合、これができない「あっちむい・・・」ぐらいで、頭からバク!と容赦な食われる。しかもシチュエーションが、太平洋に浮かぶ、6畳ほどのボートの上。ジャングルをにげまくっていたプレデターとはわけが違う。逃げる場所がない。想像してみよう、「あっちむいてホイができない猛獣との、6畳間の同棲生活」。これはつらい。
とはいえ、主人公のパイ君は、人間としての知恵を使って漂流生活をこなし、あと一歩でトラを退治するところまで行く。絶交のチャンス到来!しかしである。彼は「あ。やっぱりトラを退治するの、やめよう。一緒に暮らしていこう。」と決意するのである。
これはどういうことかというと、太平洋の真っただ中で、自分が生きるための食糧(=魚)を確保しなければならない、に加えて、トラが自分を襲わないように、トラの魚も確保しなければならない、ということである。自分が生きていくだけでも大変なのに、そのうえトラまで・・・おまえはだめんずに貢ぐ女か!とつっこんでしまった。
しかしまあ、人間、なにかをかかえて生きている。生き続ければ、かかえるものも増えてくる。病気や死など、なんともしがたい苦しみも出てくる。人生は不可解であり、それに答えを出そうとすれば、「神」のような超越者からの視点を持たないと無理だろう。映画の主人公も、はじめは、さまざな宗教にのめり込み、答えを探そうとしていた。
ただ、宗教のような、人間の長い営みで生まれた不可解の納得の仕方ではなく、「自分=不可解」ということに真っ向からむかうと、それは芸術のようなものになり、自己探求の七転八倒がはじまる。そういえば映画の中で主人公がはじめて魚をいけどって撲殺するシーンがあるが、僕自身も20代のときに人生とは何だ?と悩んで魚を撲殺する製品を作ったことがあり、共感した。この映画では、そんな「自分の中の不可解との共存」がラストシーンで強烈に登場し、椅子からずり落ちた。ハリポタ的な楽しみを求めて見に来た家族連れなど、凍りついたのではないか?
この映画は、トラのCG描写がとてつもなく完璧ですばらしいのだが、それとはちがう、もう一軸の面白さは「ごはん」 のシーンである。始終誰かが何かを食べている。トラと人間と家畜と草という食物連鎖のような「ごはん」もあれば、宗教や文化が決めている「ごはん」も登場する。「ごはん」という生命の行為からも、いろいろ考えさせられる映画だった。
その影響だろうか、この映画を観終わったあと、僕は「一週間のベジタリアン生活」を実行することになった。
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