地震の被害が想像以上でした。テレビからの映像で、悲しみと虚脱感と不安がどばっと流れこんでできます。それは強烈な「破壊の世界=デストピア」です。さすがに僕もへこたれそうになりますが、ふと心に思い浮かべることがあります。
それは初代明和電機社長だった、父親のことです。
父は昭和一ケタの生まれです。ドクター中松と同い年です。ちなみに昭和一ケタの人間って、ものすごくうさんくさいですね。ドクター中松には、父と同じうさんくささを感じる。同じ発明好きつながりだし。
でも一方で、彼らには強烈に惹かれる部分がある。それは「理想世界=ユートピア」を心の中にもっているということ。自分はこういう理想の世界を作りたい!というビジョンがあるんですね。
彼らは、戦争ですべてが破壊された光景を見て、そのなにもなくなってしまった世界を見て、「よし!オレたちが今度は作らなきゃ!」とこぶし握って、そして頭の中に、どんな世界にしようかということを、知恵と空想力をふんだんに使って考えたんだと思う。ユートピアを。
さらに父親たちは、兵器という人間が作り出した機械が世界を破壊したのだから、逆に人間が作り出す機械が、きっと「ユートピア」を作りだすはずだ!と信じた。とにかくいろんな装置や機械を、手を動かして作った。高度経済成長期の日本の元気って、そこ。そして僕が青い作業服を着続ける思いも、そこ。
父はその後、明和電機を設立して、エンジニアなのに慣れない経営をやって、福祉工場などに理想を傾けすぎて、結果、倒産。親戚や家族、たくさんの人に迷惑をかけてしまった。晩年は川原でエコシステムの研究を始めて、「海上に浮かぶ農場」みたいな装置の研究・実験をずっとやっていた。どーみても変人なんだけど、今思えば、あれが、戦争のデストピアの中見た、父親のユートピアだったんだろう。
今回の震災の壮絶な風景は、デストピア。破滅してしまった世界です。でも、人間には、そして生命には、根源的に「創造する力」がある。テレビからはデストピアのイメージがどんどんやってくるけど、ちょっとテレビのスイッチを切って、目をつむって、「自分なら、こんな世界を、作り上げたい」という、ユートピアについて考えるのが大事だと思うんです。
工業でも、情報でも、ロハスでも、エコでも、なんでもいいから、それがどんな理想的な世界を作り上げるのか空想しよう。破壊された現実のイメージに打ち勝つために。