昨日、早稲田大学で行われた「デバイスアート」のシンポジウムは面白かった。芸術家と科学者が同席して、ひとつの「装置」について語る。その視点の違いが浮き彫りになって面白い。
たとえば、筑波大学の岩田先生の作っている「ロボットタイル」は、完全に工学的なポジションで作られています。バーチャルリアリティー空間の移動を、ロボット技術を使うことで実空間に再現するという。そしてその技術を社会に還元することも考えて制作されています。つまり、工学的に新しい「技術」なのです。
しかし一方で、この装置を「アート」の視点から見ることもできます。20世紀に登場した機械技術文明を批判する「ナンセンスマシーン」という現代美術のひとつの流れがあり、その中で語ることもできます。,岩田先生はそのような意図で作られてませんが、彫刻的に見たときに、そういう解釈も引っ張りだせます。それぐらいの作りこみの迫力のある装置です。
もうひとつの例としてベルギーの作家 WIM DELVOYE さんが作った「ウンコ製造機」を考えてみましょう。僕の大好きな作家なのですが、彼はこのマシーンを現代美術のフィールドで作っています。開発スケッチがあるのですが、ものすごく絵画的な美しいスケッチです。一貫してスカトロの持つ美学を貫いているのですが、この装置を完成させるには、そうとうの工学的な知識と技術が必要です。もしかしたら、その中には、工学のフィールドドで論文発表できるよな発見があるかもしれません。
科学か、芸術か。
どっちの文脈でなのか?という疑問に対して、同じくシンポジウムに参加されていたエルキ・フータモさんが、ナイスな言葉で答えてくれました。
「不可解というものがあれば、そこにコミュニケーションは生まれる」
工学家も芸術家も、まずは不可解であるものを作るべきだな、文脈論はそのあとだ、と納得。
なるほどー!!
シンポジウムの模様はUSTREAMに保存してあります。興味のある方はご覧ください。