アートをマスプロダクト化するためには?

明和電機は、「アートを大量生産する」という試みを続けています。これを自分で「マスプロ芸術」と呼んでいます。

主にオモチャ会社のキューブさんと一緒に商品の開発をしているんですが、今日、打ち合わせで、「どうして明和電機みたいな、アートをマスプロ化するアーティストが、もっと出てこないんだろう・・・」という話になりました。

少数のアートの量産ということでは、リトグラフ版画やブロンズ像のような方法で、芸術家は複製された芸術をむかしから作ってきました。しかし、20世紀に登場した工業技術によるマスプロダクトを利用して、大衆相手に商品を作った芸術家は、数が少ないのです。僕がぱっと思いつくのも、日本だと岡本太郎が東レと組んで作った「鯉のぼり」ぐらいです。

どうしてかな?と思ってることに、キューブのH氏が答えてくれました。

「芸術家のアートピースを複製して、オモチャとして大量生産しても、難解な芸術がミニチュアになっただけなので、大衆にとってはわけがわからない。それだと売れない。売れるものを作るには、芸術家さんも、大衆を相手にした大量生産というフィールドでもう一度、初めから創作できる人じゃないと難しい。でもそれは芸術家にとって、一番大事な”こだわり”を捨てなければいけない場合がある。多くの芸術家はそれができない。すると、ああ、それだったら、企業と組むのではなくて、芸術家として、一人でやってください、ということになる。」

なるほどー。

では、僕の場合、大量生産を作るとき、芸術家としてのこだわりを捨てているか?というと、まったくそんなことはない。オモチャというのは、興味深い世界で、「おもしろいかどうか」というのがすべての基準になっている。それはときに芸術家以上にアバンギャルドな部分があったりする。さらに、量産技術、消費者の目に耐えうるよう、ものすごく吟味したカタチや設計にしなかればならない。コストも考えて。

ひとことでいえば、芸術作品を作るより、はるかにシビアで、アバンギャルドな面がある。だから、こだわりを捨てるのではなく、「あなたのこだわりの本質はなんですか?それはオモチャに落とし込めるほど、強いものですか?」を逆に問われる。これが面白いし、やりがいがあるのだ。

これはもしかしたら、芸術というよりは、「工芸」に近いかもしれない。明和電機のオモチャは、電気やプラスチックを使ってるから今風だけど、その制作プロセスは、民芸や工芸にちかい、とてもクラッシクな作業じゃないかな?と僕は思うときがある。

自分の芸術をオモチャにおとしこんで、大量生産・流通させたい!!と思ってるみなさん。ぜひぜひ、自分の作品を研ぎ澄まし、純粋な「おもしろエッセンス」にして、オモチャ業界の門をたたいてみてください。いつでも、オモチャメーカーは、「おもしろエッセンス」を待っていますよ!

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