明和電機ショップ、ついにオープン!!

 

明和電機26年目にして、初の公式ショップを東京の秋葉原にオープンすることになりました。場所は、あの東京ラジオデパート!!

秋葉原には、ラジオデパート、ラジオ会館、ラジオセンター、ラジオガーデンなど、ラジオという名前がついた場所がたくさんあります。戦後、秋葉原という街ができていった牽引力となったのが、小さなラジオの部品販売店だったからです。当時は、そうしたお店にいけば、部品からそれを収める箱まで、ラジオを組み立てるための部品がすべてそろいました。

ラジオデパートはそんな老舗の部品屋街のひとつです。明和電機のショップはラジオデパートの2階、電気部品屋さんと同じならびに出店します。

 

■電気部品の思い出

ラジオデパートの、明和電機が出店を予定している場所のとなりには、真空管を売っているお店、向かいには可変抵抗(ボリューム)を売っているお店があります。こうした電気部品を見ると、とても懐かしい気持ちになります。

小学校のころ、父親が「明和電機」という電気部品工場を営んでおり、一階が工場、二階が住居という家で育ちました。その一階の工場では、東芝の下請けで、真空管のガラスを切る仕事をしていました。真空管の中のキラキラした雲母の薄い板なんかもあって、きれいだなあ、と思っていました。

その後工場は大きくなって別な場所にうつり、そこでは松下電器の下請けで、テレビのボリューム(可変抵抗)を作っていました。忙しいときなどは、小学生だった僕もベルトコンベア流れ作業の中に入って、女工のおばちゃんたちと電気部品の組みたてなどをしていました。小学生の遊び盛りなので、その作業がとても嫌だったんですが、今になればそのとき「量産とはなにか?」ということを体を持って体験でき、今日の明和電機の活動にとても役に立っています。

その後、小さいころから絵描きになたい、と思っていた僕は、1987年、筑波大学の芸術専攻に進むと、そこで機械を使った芸術作品を作るようになりました。絵描きになりたい、という自分の中の「芸術家」の部分と、工場の中で育ったという「エンジニア」の部分が合体したからだと思います。

大学時代は、電気部品をもとめて、筑波からバスにのって秋葉原に行きました。駅を降りたらラジオストア、ラジオガーデン、ラジオ会館をぐるりとめぐり、信号を渡ってラジオデパート、千石電商、秋月電気、鈴商あたりをチェック。そうすると「あれも欲しい、これも欲しい、」という、物欲が頂点に達するので、それを鎮めるために、角にあるドトールに入ってコーヒーを飲みました。「ほんとに買わなければいけないものはなんだっけ?」と冷静になってから、逆方向にお店をめぐって買い物をする、いうのが基本コースでした。

とりわけ「ジャンクパーツ」と呼ばれる、ほとんど廃棄処分になったような電気部品を漁るのが好きでした。当時は今よりもたくさんジャンク屋さんがあり、まるで宝さがしのように、ホコリの箱の奥から、欲しいものやなんだからわからないけれど形がカッコいい部品を探しまくりました。

そうした掘り出しもののひとつが「ソレノイド」と呼ばれる、電気が流れると直道する電気部品で、学生のときにそれを使って電動楽器を作り、そこから明和電機の活動の根幹となる「ツクバシリーズ」というナンセンス楽器が生まれました。

 

■パソコンにハマる

僕が秋葉原に通い始めた1980年代の後半は、すでにラジオの街から「パソコンの街」へと変化していました。そこらじゅうにパソコンや関連する部品、ソフトウェアを売る店がありました。僕が最初に買ったパソコンはAppleの「LC」というパソコンで、たしかRAMが4MB、ハードディスクが40MBという、現在のスマホの能力と比較すると米粒みたいなパソコンでしたが、家に届いたときは「未来がきた!」という感動がありました。

Appleのパソコンには当時、「ハイパーカード」という、ソフトが必ずインストールされていました。インターネットでは当たり前になっている[ハイパーリンク」という情報要素を飛び交う仕組みが簡単に作れるマルチメディアソフトだったんですが、これがすばらしく、「思考支援ツール」として、まるで自分の脳みそを外在化させることができそうでワクワクしました。

世の中にはこの「ハイパーカード」を使って「スタック」と呼ばれるソフトを作っていた人がたくさんいました。しかし、インターネットなんてなかった時代なので、その情報は雑誌からしか得ることができません。しかし、秋葉原のパソコンショップに行くと、そんなあやしいスタックの情報が手に入り、また、それをコピーさせてくれるお店があることを知りました。

そうしたお店では、「ひとり10分」とか時間が決まっていて、スタックが大量に載っている怪しいチープな印刷の本が置いてあり、それを見ながら欲しいスタックを決め、1.44Mのフロッピーディスクを店内で買い込み(=店で買うルール)、自分にあたえられた10分という制限時間の中で、ひたすらフロッピーの中にガチャコンガチャコンとコピーをしていました。

苦労してコピーを家まで持ち帰り、自分のパソコンにインストールして立ち上げてみたら、しょぼい内容だったりしてがっかりすることもありましたが、それも含めてなんともいえない「ジャンク感」があり、惹きつけられました。

そのほか秋葉原には楽器店もあり、MIDI関係の機材やソフトウェアなどもよく買いました。ジャンクな電気部品から、細かな電子部品、素材、ソフトウェアなど、すべてそろう秋葉原は、明和電機の活動にとって、なくてはならない存在でした。

1990年代になると秋葉原は、アニメショップやメイド喫茶、アイドルの劇場などがどんどん増えていき、電気部品の街にプラスして、日本独特のオタクカルチャーがあふれる街へと変化し、外国人観光客もたくさん訪れる名所になっていきました。

 

■あれ?シャッター街が増えている・・

2016年、老舗の電気部品街であったラジオストアが閉店するという出来事がありました。時代はラジオからパソコンを経てスマートフォンの時代になっており、「自分で部品を買って、自分で作る」という時代ではなくなっていました。今日のデジタル機器を見ればわかるように、分解することもできず、中に何が入っているかわからない「ブラックボックス」になっています。治すよりも買ったほうが安いし、またインターネットの普及で、秋葉原にいかなくても、検索すればさまざまな部品が郵送で届く時代になっていました。

 

そして昨年の11月のこと。部品を探しにラジオデパートに行ったとき。地下から3階まで、すべての階で、シャッターが降りたお店が増えていることに気が付きました。

「え?なにこれ?ここもラジオストアのようになっちゃうの?」

と思いました。駅から徒歩2分というすばらしい立地で、まわりにはメイドさんが活発に路上で活動している場所です。外国人観光客もたくさん往来している場所です。本当にシャッターが降りてるんだろうか、もしかしてオリンピックに向けた再開発だろうか、と公式ホームページを見ました。するとそこには「出店舗・募集」の告知が掲載されていました。やはり営業を止めたお店たちが増えていたのでした。

秋葉原の小さな電気部品屋さんは、文化遺産で保存したいぐらい魅力的で、海外からも注目される風景です。その場所が秋葉原からどんどん消えていっている。なんか寂しすぎる、と悲しくなりましたが、そのとき、頭の中にピキーン!とひらめくことがありました。

「だったら、明和電機がお店を出す」

でした。

 

■マスプロ芸術

 

明和電機は1993年の活動の出発点から一貫して行っていることが2つあります。1つ目は「ナンセンスマシーン」というアートを作る、です。これは世界にひとつしかない一点モノ、つまり「オリジナル」です。一般的にアーティストはその「オリジナル」を売って利益を得ます。しかし明和電機はそれを売らず、「オリジナル」の持っているアイデアや仕組みを二次展開をして、さまざまなオモチャのような「マスプロダクト(大量生産)」を作ったり、ライブコンサートのような「マスプロモーション(大衆伝達)」をすることで利益を得ます。これを芸術のマスプロ化といういう意味で「マスプロ芸術」と呼んでいます。>詳細はこちら

マプロダクトは、大衆に向けて売るので、売り買いをする場所、「ショップ」が必要です。明和電機はこれまで、オタマトーンのようなオモチャは、製造販売元の㈱キューブさんから問屋さんを通して東急ハンズや楽器店、オモチャ屋さんなどの小売店で販売していました。またそれ以外には、展覧会などでは期間限定のポップアップショップを作ったり、ECサイトに明和電機ショップを開設して販売していました。

 

いずれも明和電機の商品だけがある、永続的なリアルショップではありませんでした。しかし、明和電機結成当時から、「いつかはリアルな公式ショップを街につくりたい」という夢はずっとあり、スケッチを描いたり、その実験的な店舗を展覧会で作ってみたりしていました。2020年の東京オリンピックが決まったときには、たくさん来日する外国人観光客が爆笑するような「おかしなおみやげ屋」を作りたいなあ、と漠然と思っていました。その夢がラジオデパートの空き店舗を見たとき、「ピキーン!」とひらめいたのです。

すぐにホームページに載っていたラジオデパートの事務所に電話をしました。そして現在の空き状況、家賃を聞いてみました。その家賃は、自分が予想していたよりも安く、「これならいけるかも・・」と確信しました。

 

■ラジオデパートと打ち合わせ

具体的にラジオデパートの状況がどうなっているか知りたく、2018年の12月末、ラジオデパートを運営している㈱ラジオデパートの事務所にお伺いし、担当の方からお話を伺いました。

いままで30年間通い続けたラジオデパートですが、店舗のある3階より上にはいったことがありませでした。足を踏み入れると、懐かしいロゴの看板などがあり、まさにそこは「昭和」の世界。打ち合わせをした部屋の窓をあけると目の前は中央線が走るJRで、鉄道マニアにはたまらないであろう絶景でした。

担当の方にまずはラジオデパートの歴史をお聞きしました。(こちらで見れますので、ご興味のある方はぜひ)。ビルができた1973年には、秋葉原でエスカレーターがある建物はめずらしく、まさに「デパート」のような華やかさがあったそうです。

「でも、だんだんテナントのお店も3代目とかになってしまってね。それに秋葉原で部品を買って何かを作る、という時代ではなくなってるし、インターネットでみんな買っちゃうし。ほんとはアニメショップやメイドさんのお店みたいなのもOKにすれば、すぐにテナントが埋まるだけど、うちは電気部品でやってきたらか、それはやりたくない。かといって、海外の電気部品屋を入れるというのも、なかなかモラルがちがったりしてむずかしい。そんなこんなで、気がついたら、シャッター街になっていた」

ということでした。長いこと秋葉原に通っているものとしては、時代の流れとはいえ、胸が痛くなるお話でした。

しかしお話をお聞きしながら、一方で、「電気部品を買って自分でなにかを作る人が減っている」という点には、そこはちがうかも、と思いました。自分のまわりには、3Dプリンターやレーザーカッターなどのファブ系工作機械や、海外の電子基板制作会社などを駆使して、オリジナルのユニークな製品をつくり、ECサイトやクラウドファンディング、SNSを使ってそれを広告・販売している人たちがたくさんいる。むしろモノ作りに関しては、むかしよりいまのほうがはるかに簡単になり、個人で販売できる環境ができています。メイカーのイベントやハッカソンはあちこちでやってるし、YOUTUBEを見ても、愉快なモノ作り野郎の動画がたくさんのビューを集めています。

ただ、そうした人々の多くは、ネットショップを使ってモノを買い、作りたいものに関するコミュニティで情報を得ていて秋葉原には来ていない、ということだと思いました。

■明和電機のような「おかしなマスプロ」を行う人がでてこないのはなぜか?

モノ作りの環境はととのっている。そしてそれを販売する環境も整備されている。しかし、そんな状況なのに、自分でいうのものなんですが、明和電機のような「おかしな商品」をマスプロ化して販売している人は、数えるほどしかいません。なぜでしょうか?

いろんな原因が考えられると思いますが、実はモノ作りがしやすくなったことそのものが原因のような気がします。

3Dプリンターやレーザーカッターのようなデジタル工作機械は、「誰でもモノ作りができる」という点でもてはやされています。しかし、なぜデジタル工作機械がなぜ素人でも簡単にモノ作りができるかといえば、実は「モノ作りのおもしろさや醍醐みをすっとばしている」部分があるからです。

たとえば木材を切るという作業は、レーザーカッターでなくても、手でのこぎりがあれば簡単にできます。そこには、いかにきれいに切るか、どうやって木材を固定するかなどの「創意工夫」のおもしろさがあります。物質にはエロスがあって「フェティシズム」といいますが、手で木材を触りながら加工すると、それを感じますし、その魅力が作るものにもにじみ出ます。しかし、いきなりレーザーカッターで木材を切ると、そうした面白さをすべてすっとばしてしまうので、「フェティシズム」を感じられないモノができあがりがちです。そうやってできあがった商品は、他者から見ても「物欲」を感じることがないので、買おうとは思いません。

また、ネットで部品が手に入る、作り方がネットを見ればすぐわかるというのは、とても便利だけれど、一方で「みんな同じようなものを作ってしまう」という状況も生み出します。マニュアルどおりに作れば、失敗することはないし、なんとなく「製品っぽい」ものが作れるので、「まるで自分が作ったとは思えない」という感動があります。しかしそうって作ったものは、どこかで見たことがあるものになります。世の中には同じようなもので安いものがたくさんあるので、わざわざお金を出してまで欲しいとは思いません。

例えば家庭料理であれば、ネットで材料を買い、ネットのレシピどおりに作ればいいと思います。その方が失敗せずにおいしい料理が作れます。実験的に作ったまずい料理を家族で食べるのはちょっときびしいです。

でも、オリジナリティが必要な創作活動では、むしろ失敗や実験が必要で、みんなとはちがうものを作らなければいけません。料理と同じようにレシピどおりにやっていたら「モノ作りごっこ」になります。ひどいものになれば、クラウドファンディングでありがちな、完成予想モデルをCGできれいに作り、お金だけを集め、いざリアルに量産する段階ではじめて現実のモノ作りの壁にぶちあたり「できませんでした!」と逃げ出すパターンを見かけたりします。

かつて僕が秋葉原のジャンク屋めぐりをしていたときには、そこはなんだかよくわからない部品がごちゃごちゃと混じった混沌でした。そこで見つけた「ソレノイド」などは、どうやって使うかよくわからなかったので、12Vに無理やり100Vを流して使うという危険なことをやっていました。もし、そのときにインターネットがあったら、検索で調べるのでそんなめちゃくちゃな使い方をしなかったと思います。でも逆にいえば情報がなかったからこそ、固定概念にしばられることなく自由に作れた、とも思います。また、お店で電気部品を手にしたとき、リアルに感じる「フェティシズム」がありましたし、手で作っていく粘り強さもありました。

固定概念にしばられない、モノのフェティシズムを感じる、粘り強く作るとか、こうした体験があったからユニークなナンセンスマシーンを作ることができたと思います。これらは、マスプロの商品を作るときにもにじみでるので、「オタマトーン」のような商品が生まれたのだと思います。

インターネットは便利ですが、そこで得られるのは音と映像の情報でなので物質感はなく、また検索で答えが見つかってしまうので寄り道も減ります。そうしたことに飽きはじめた人たちが、たとえばマニアックなレコードショップにわざわざ行って、アナログ・レコードやカセットテープなどのリアルな物体を買ったりするような、「先祖返り的な最先端」を求めているのではないでしょうか。

「秋葉原にリアルなお店を出すという行為は、一見、過去にもどるようだが、物体のコミュニティーという点では、実は最先端ではないか?」と思うようになりました。

■ラジカルなオブジェ

ラジオデパートや、秋葉原の歴史を調べていくと、かつて「ラジオ」というのは本当に時代を作り上げた商品だったんだなあ、思いました。ソニーもシャープも東芝も、かつてはラジオの販売がその企業成長のきっかけでした。

戦後の何もない時代、ラジオから流れてくる音楽や、ドラマや、トーク番組や、ニュースは、キラキラしたコンテンツだったんだろうと思います。そしてそれが、部品を集めて、「自分で作ることができる」、というのもすごい魅力だったのだと思います。

今のスマートフォンも、映画、音楽、カメラ、メール、SNSなど、あふれんばかりの魅力的なコンテンツを安価に提供してくれます。そういう点では魅力的ですが、かつてのラジオのように「自分で作ること」ができません。片手で数えるぐらいの企業だけがスマホを作り、世界中で販売し、巨額の収入を得ています。

面白いことに、秋葉原をモデルに作られたという中国の巨大電気屋街の「華強北路(ファーチャンペー)」に行くと、iPhoneの部品屋や修理屋さんなどで、昭和のころに秋葉原でラジオを売っていたようであろう風景を見ることができます。ごちゃごちゃしたお店の中、お母さんが幼児がごはんを食べさせてる横で、お父さんらしき人が見事な手さばきでiPhoneを分解し、正規部品でないパーツを組み合わせて安価に修理してくれます(もちろん非公式)。そんなワイルドな場面を見ると、かつてラジオの部品を屋台で売っていた戦後は、こんな感じでエネルギッシュだったんだろうなあ、と思います。

ラジオという装置は、かつての時代にとって「急進的」で、かつ時代を作り上げる「根源的」となる物体だったのだと思います。おもしろいことに、英語では「急進的」も、「根源的」も、おなじ「ラジカル(RADICAL)」という単語で表現します。そこでひらめきました。

「ラジオ(RADIO)は、かつて“ラジカル(RADICAL)”な“オブジェ(OBJE)”だったのだ」

それでは今の「RADIO」って、なんだろう?スマートフォン?すごい装置だけど、自分でいじくることができない。というか、みんなが同じ価値感を共有する時代じゃないし、自分のものは自分で作れる環境も整ってきたから、これからは自分自身の価値観で「RADIO」を作る時代になったんじゃないか?明和電機もそんなノリで、これまで25年間、ナンセンスな「RADIO」を作ってきたし。ラジオデパートの明和電機ショップが、そんな“新しいRADIO”を発信する場所にならないだろうか?

 

■出店を決める

 

さまざまな状況を考え、2018年の12月、明和電機ショップをラジオデパートに出店することに決めました。さらに「新しいRADIO」の考えをベースに、明和電機だけでなく僕のまわりいるおもしろ工作をしている人たちにも参加してもらえないだろうか?と思いました。そこで閃いたのが、レンタルスペース「ラジオスーパー」でした。

「ラジオスーパー」は一定料金で棚を借りる、いわゆる「レンタルスペース」です。一品ものを預かって置いて売ってみるという場所もあります。ここに、おもしろ工作をしている方々や、その部品を供給したり、コンテンツを作ったりした人がごちゃごちゃっと集まれば、「ジャンク屋」的な魅力のある混沌が作れないだろうか?と思いました。

また、「ラジオギャラリー」という、アートを展示する場所も作ることにしました。アートには得体のしれない不可解なエネルギーがやどっています。それを秋葉原のどまん中に展示したら、おもしろかろう、と思ったのです。さらに秋葉原なので、それにそのアートを作るための部品も秋葉原でそろいます。展示にそうした「購入マップ」のようなものをつければ、「おもしろいな、僕もなにか考えて作ってみよう」と刺激を受ける人が増え、秋葉原の活性化につながるんじゃないか、と思いました。

こうして「明和電機 秋葉原店」「ラジオスーパー」「ラジオギャラリー」という3つの空間で構成される、実験的な店舗を、3月30日にオープンすることになったのです。

■夢は・・

「明和電機 秋葉原店」は、畳三畳ぐらいしかない、とても小さなお店です。でも、明和電機の哲学や、アート、トイ、本、音楽コンテンツなどがぎっしりつまった、社会の中に存在するひとつの「ナンセンスマシーン」にしようと思っています。そしていつかは「明和電機 パリ店」「明和電機 上海店」「明和電機 ドバイ店」など、世界各地に展開できたらと思っています。

ラジオスーパーも、荒削りでも、ジャンクなおかしな商品が集まったら楽しいなあ、と思います。日本だけでなく、海外のからも出店があったら愉快です。

世の中に「ラジオ(ラジカルなオブジェ)」がどんどん作られて、「ナンセンス(超常識)」なものが増え、人類の未来が、少しでも明るく和やか(=略して明和ね)になれることを期待しています。

明和電機代表取締役社長 土佐信道

 

明和電機秋葉原店、プレスリリースは>>こちら

ラジオスーパーの「応募要項」は>>こちら

 

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【明和電機 事業報告ショー2019】

今年もやってまいりました、事業報告ショー。2018年度の明和電機の活動報告と2019年度の野望を、小粋なパワポ芸と音楽でお送りする、お金を取る会社説明会です。今回のゲストは「ブラックベルベッツ」。高い音楽性を無駄遣いしている四人組が、高い技術力を無駄遣いしている明和電機とコラボります。どうなることか!明和電機会長・土佐正道も、たぶん紙工作の新作をもってやってきます!

日時 :2019年4月13日(土)

時間 :
「事業報告ショー2019」16:00~17:30
「明和電機コンサート」18:00~19:00

会場 :スクエア荏原
(〒142-0063 東京都品川区荏原4丁目5-28)

ゲスト:ブラックベルベッツ、土佐正道(会長)、ヲノサトル(経理)

BLACK VELVETS

 

■チケット販売

チケットは「事業報告ショー2019」と「明和電機ライブ」を両方楽しんでいただけます。

<チケット販売期間>
■明和電機協同組合先行販売
2019年02月08日(金)20:00~ 2月17日(日)まで

■一般販売
2019年02月25日(月)10:00~ 4月12日(金)まで

販売は明和電機STORES> https://maywadenki.stores.jp/
明和電機協同組合新規入会受付中! >申込はこちら

<チケット種類>
一般前売り ・・・5,000円
子ども前売り・・・2,000円

一般当日  ・・・6,000円
子ども当日 ・・・2,500円

※3歳以下は無料。ただし座席が必要な場合は子ども料金のお席が必要です。

 

 

 

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